2008年09月14日

(9)琉球王国の終焉、「日本」のなかへ

幕末の混乱を収束させ、明治維新を達成した日本の新政府は近代国家の領土を画定させることを急ぎ、琉球併合に向け着々と準備を進めます。

1872年(明治5)、琉球王国は「琉球藩」として明治天皇から“冊封”されます。さらに琉球人が台湾に漂着して現地民に殺害された事件をきっかけに日本は台湾へ出兵し、琉球漂着民を日本国の属民であることを清朝側に認めさせてしまうのです。

次いで明治政府は琉球に対して清朝との外交関係(朝貢関係)を停止することを強要します。琉球側はこの撤回をはかるべく請願をくり返しますが、小手先の外交戦術で事態を打開できるほど状況は甘くなく、琉球は「近代」という時代の激流に呑み込まれていきます。1879年(明治12)、明治政府から派遣された松田道之は軍隊と警察をともなって首里城に乗り込み、琉球藩の廃止と沖縄県の設置を通告します(琉球処分廃琉置県ともいう)。国王尚泰は東京へ連行され、ここに500年あまり続いた琉球王国は滅亡します。

沖縄県設置に反対する琉球の士族たちはひそかに中国に渡り、王国復活をめざして清朝に救援を求めます(脱清人)。宗主国だった清朝は日本の琉球併合に抗議し、アメリカが調停するかたちで日本と清朝で琉球王国を分割する案が出されますが、琉球側の意向を無視した分割案に対して中国内で活動する琉球人らは猛反発し、結局、交渉は先送りされます。

王国復活の動きも、日清戦争で清朝が敗れると沈静化し、琉球は以後「日本のなかの沖縄」として歩みはじめるのです。

(9)琉球王国の終焉、「日本」のなかへ
【図】脱清人たちの眠る福州の琉球人墓地




Posted by トラヒコ at 19:00