2008年09月09日

(4)琉球王国の拡大と貿易の衰退

沖縄島を統一した第一尚氏王朝ですが、この政権は権力の基盤が弱く、尚巴志や懐機などのカリスマが死んだ後には王位継承争いや有力按司の反乱が次々に起こります。按司はいまだ各地に割拠していて、按司連合政権の性格は基本的に変わっていなかったのです。さらに明朝はそれまでの琉球の優遇策をやめ、貿易を縮小させようとします。実は琉球の対外貿易の全盛期は三山時代で、この頃から次第に衰退していきます。

1470年、第一尚氏王朝は金丸(のちの尚円)のクーデターによって滅び、新政権が誕生します(第二尚氏王朝)。新政権は国内の権力強化と版図拡大をはかりますが、この動きの背景には、貿易活動の衰退をカバーするため、国内の体制を強化して乗り切ろうとしたことがあったと言われています。

尚真の時代には王府が各地の按司の権力を奪って中央集権化を達成し、国王が絶対的な権力を手にします。また沖縄島の琉球王国は奄美と先島(宮古・八重山)地域へ軍事侵攻し、この頃までに北は奄美大島、南は与那国島までの広大な海域にまたがる島々を支配下におく国家を築きあげるのです。

しかしそれもつかの間、16世紀に入ると琉球をとりまく国際情勢は大きな転換期を迎えます。それは全世界をつないだグローバル経済の成立です。ヨーロッパ勢力のアジア進出と、中国の銀需要の増大で海域アジア世界は空前の「商業ブーム」が生まれます。南米産と日本産の「」が世界経済を動かす血液となり、民間の交易商人たちが世界規模で活動しはじめるのです。

(4)琉球王国の拡大と貿易の衰退


それまで明朝のもとで国営中継貿易を行っていた琉球王府は、この「民営化」の動きにほとんど対応できませんでした。しかし国際貿易港であった那覇は日本から東南アジアへ渡航する民間の交易商人たちの中継地として利用されていきます。東南アジア各地にあるような「日本人町」としての機能を那覇も果たしていきます。



Posted by トラヒコ at 19:00