2008年09月05日

(0)新しい視点から

かつて、南西諸島には「琉球王国」という独立国家が存在していました。

沖縄が日本本土(ヤマト)とちがった文化や伝統を持ち、また自分たちを「ウチナーンチュ(沖縄人)」だと強く意識する背景には、歴史的に独自の道を歩んできたことがあります。日本とは別個の国家をつくりあげたことが「琉球・沖縄」のアイデンティティの形成に決定的な意味を持っているのです。

言ってみれば近代以前の沖縄の歴史は「琉球王国」の歴史だったのですが、まずその歴史を見ていくうえで、いくつかのふまえてほしい〈前提〉があります。

まずは「琉球・沖縄」という地域が地理的に見てどのようなところか、ということです。沖縄県は大小160の島々からなりたっています。それぞれの島は海で隔てられていて、不便な「絶海の孤島」という印象を持つかもしれません。島の大きさも日本本土の島々と比べてとてもちっぽけな島しかないと思うでしょう。たしかに「陸」だけの視点から見ればそうかもしれません。

しかし、沖縄という地域を見る際には、それは適切な見方ではないと思います。「海」は生活のできない死の世界で、島に生きる人々にとって外との世界を隔てる“壁”のような存在だったのではありません。近代以前においても島の人々、あるいは外から来た人々は船を自在にあやつり、活発に島々の間を移動していました。

もちろん現代より移動が便利だったわけではありませんが、「海」は“壁”ではなく、外の世界へとつながる“道”そして“生活圏”だったのです。陸だけの面積で見れば沖縄県は大阪府より若干大きいぐらいです。しかし島とその周りの海をひとつの世界としてとらえる「海域世界」という考えでとらえれば、南西諸島の範囲は実に東京から福岡あたりまでの広さに匹敵します。琉球王国はこの海域を統治した巨大な海洋国家だったのです。

(0)新しい視点から


そしてもうひとつ。意外に思うかもしれませんが、近代以前、人々は活発に地域間を往来するなかで、「民族」や「国境」という観念をあまり意識していませんでした。この傾向はとくに近世(江戸時代)以前に顕著です。グローバル化が進む現代の状況は、かつて「中世(古琉球)」という時代、すでに出現していた状況なのです(現代社会を「新しい中世」と呼ぶ学者もいます)。

つまり沖縄でも太古から「ウチナーンチュ」あるいは「琉球民族」という枠があらかじめ決まっていて、琉球の歴史が展開したのではないということです。それは沖縄や北海道をふくめた現代の「日本国」「日本人」の枠組みが、神話の時代からあらかじめ決まっていたわけではないのと同じことです。琉球王国は南西諸島に昔から住む人だけでなく、外の世界から来た様々な人も参加して、歴史を重ねていくなかで「琉球」という主体を自らつくりあげていったのです。

以上をふまえてこれから紹介する沖縄の歴史を読んでいただけると、これまでの教科書や入門書で紹介されている沖縄の歴史とは全く違った面が見えてくると思います。

ここでの解説は、王様の順番をもとに歴史を説明する「王統史観」は採用しません。「琉球・沖縄」という地域が、外の世界とどのように関わりながら自らを形成していったかを、最新の研究成果をもとに述べていこうと思います。



Posted by トラヒコ at 20:00