(5)薩摩藩の琉球征服
その頃、北のヤマトでは戦国時代。
豊臣秀吉が天下を統一して、さらに
アジア世界の征服をもくろみます。
秀吉は明を征服するためまず朝鮮に出兵し、琉球にも薩摩の島津氏を通じて服従をせまってきます。秀吉の企ては結局失敗に終わりますが、次は徳川家康が、秀吉の出兵で断絶した明朝との関係修復を琉球に仲介させようとし、島津氏がこれに乗じて琉球の支配を狙います。
この頃の薩摩内部は3つの派閥(島津義久・義弘・家久)に分かれ反目しあっていました。当主の家久は琉球領だった奄美を攻め取って家臣に与え、これをきっかけに藩内をひとつにまとめようとしたのです。
幕府は東北への琉球船漂着事件をきっかけに琉球へ使者を派遣するよう求めましたが、使者を派遣することは従属を意味していたため琉球は拒否します。そこで幕府は島津氏に琉球侵攻を許可し、1609年、
薩摩軍が琉球に侵攻します。琉球は軍隊を動員して迎え撃ちますが、戦国乱世をくぐり抜けてきた精強な薩摩軍の前にはひとたまりもなく、敗れて薩摩藩に従属する存在となるのです。
グスク時代から王国の成立を経て、薩摩に征服されるまでの完全な独立国だった時代は「
古琉球」と呼ばれています。